So-net無料ブログ作成
検索選択

五十歳からは水木原理主義 [人生]

ぼちぼち定年後の生き方を考えようと、図書館で「五十歳からの自己投資」(谷口正和著)という本を借りてきた。

この中で「五豊穣」をキーワードに、
・時を得る時持ち。
・友を得る友持ち。
・経験を得る験持ち。
・物を得る物持ち。
・金を得る金持ち。
という内容について、50歳以降の人生の価値観について語っている。

なかなかドキッとするような言葉が出てきて面白いので、手帳に書き込んでいる。以下のようなものだ。

  • 人生にはすべて春夏秋冬という四季がある ~「留魂録」吉田松陰
  • 競争原理から「共生」原理へ。師と弟子を相互に交換し合って生きる得意技共生社会。
  • 家族連れから二人連れへ ~ empty nester
  • 日本人とは旅と言うものが包含する概念が好きなのだ。 ~西行、一遍上人、芭蕉、山頭火~ 内観の旅。五十歳は天命の歳(孔子)。
  • 人生百年、生涯現役。京都の「四者一坊」とは学者、医者、役者、芸者、お坊さん。
  • アルバートアインシュタイン「私は毎日、何百回となく自分の精神や肉体が、すでに亡くなった人や生きている人々の労働によって支えられている事を思い返して入る。だから、私も同じように人々のために献身しなければならないのだ」
  • 死はゴールではない。何かのスタートである。人生を喜んで死ぬ、楽しんで死ぬ。肯定型の死観。
  • 生きて行くことの意味を考える人全てが哲学者。
  • 清少納言「ちさきものはなにもなにもうつくし」。小さくとも精度がいいのは日本人の得意技。俳句、短歌、墨絵、絵葉書、根付け、箱根細工。
  • シューゼ「多くの人の心の中に詩人がいることを知ろう。眠っているけれど、いつも若く命ある詩人が」

人間って歳を取ると、いやでも死ぬ事を考え出すものなんですね。今の私がそうです。「死ぬ事を考える」といっても「死にたい!」とか「死から逃れたい!」というのとは違うんです。かといって「人生の意味とは!」なんて大上段に構えるものでもない。(「自分探しの旅」とかいうフレーズ、あまり好きではありません。)

「生きる」意味は単純で、「種の保存」だと考えてきました。そのために三大本能として「食欲」「性欲」「睡眠欲」があるのだ、と。
だから、社会人になって仕事をすることで社会に貢献する、結婚して家族を増やすことで種を伝えて行く、これさえ果たせば人間としての果たすべき物は果たせるのだろう、と思っていた。

さて中年を迎えて。自分の会社の中での地位、つまり社会への貢献度合いも見えてきた。子供たちもだんだん大きくなり、社会に巣立つようになって次の世代が育つところまで面倒が見れることがわかってきた。たぶん人並みに幸福な人生だと思う、今までは。

次に考えるのは、どう死んでいくか、だ。

おかしな物で、これは私の考えだけど、人間の、いや生き物の持っている根源が「種の保存」だとすると、死ぬ事は悪、なんですね。だからどこまで生きていたって死ぬ事が怖くて怖くてしょうがない。

宗教って死の恐怖からどうやって逃れるか、というのが大きなテーマだと思う。もちろんそれだけじゃなく、社会のルール、倫理観を集団で守るためでもあると思うけど。
宗教の事は、すいません、きちんと勉強してないのでいいかげんな感想ですが。

個人的には宗教に入るというのは抵抗があるけれど、宗教の持つ死生観は、だんだんと興味が出てきた。これからぼちぼち勉強して行きたいと思う。仏教のお経の意味だとか、日本神道では死をどうかんがえているか、とか。

ここまでだらだら書いてきて、何を言いたかったのか。
実は、中年以降の生き方の指南にしても、死に対する考え方にしても、とっくに水木しげる御大が「幸福の七か条」の中で言っていることばかりじゃないか、と気が付いたのです。いわく、

第一条 成功や栄誉や勝ち負けを目的に、ことを行ってはいけない。
第二条 しないでいられないことをし続けなさい。
第三条 他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追及すべし。
第四条 好きの力を信じる。
第五条 才能と収入は別、努力は人を裏切ると心得よ。
第六条 怠け者になりなさい。
第七条 目に見えない世界を信じる。

やはりこれですな!さすが水木原理主義です。
御大は、「水木さん(自分のことをこう呼びます)は、半分死んでいます。」みたいなことを言っていました。また近年は「死は終わりではない」というメッセージを複数の作品に載せています。

しかし、八十五歳の御大の境地に追いつくのは自分はまだまだ若輩者なので、まずは定年後の趣味を何にするか、って所から始めよう。


この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。